芳沢光雄 新体系・中学数学の教科書 (下) |
ここまでは中学生向けというより、
中学である程度初等幾何の素養を積んだ人向けの本だったが、
芳沢「新体系」は中学生向けとして書かれている。
自分は芳沢さんのファンで、その数学教育の本はとても参考になっている。
芳沢さんは有限群論の世界的な研究者でありながら、
数学教育にも精力的に取り組んでおられ、
中高の出張授業なども積極的に行なっているとのこと。
芳沢さんの数学教育関連の著書での示唆に富んだ卓見に、
膝を打つことの方が多いが、時折、
「う~んこれは、単発の出張授業には向いているかもだが、
中学生と日常的に接しているわけではない人の意見かな~」
と感じることもある。例えば相似の導入はそう感じた。
出張授業では違うのかもなので、一度拝聴してみたいものだ。
「新体系」の相似の導入は変換派で、新書版20ページにわたっている。
「検定教科書での相似の定義は、曖昧な記述になっていて、
相似の性質をあたかも定義であるかのように述べている面がある。
そこで本書では、それを改善するために上記で述べた
本来の相似の定義を用いることにする。」とのこと。
コクセター 幾何学入門 上 |
「本来の相似の定義」が何を指すのかちょっと問題だが、
多分相似変換群の作用の元で不変な性質、
というか「拡大・縮小で合同になる」概念のことを言っているのだろう。
コクセター「幾何学入門」でいうところのホモセティックと言ってもいい。
確かにこの概念の初等幾何的表現こそ「相似の位置」だ。
「相似の性質をあたかも定義であるかのように」云々は、
相似の性質なのであって定義ではない、という意味だろう。その通りだと思う。
また「検定教科書」と言っているのはたぶん旧課程のゆとり教科書で、
2012年度からの新課程の教科書は多少改善されてはいると思うが、
それでも数学教育における比例派の相似導入が抱える問題点への意識は、
よく伝わってくる(てか多分自分なんぞより、
もっと深いところから来てる問題意識だろうとは思うが)。
相似の定義は、まず点による線分の内分・外分を定義した上で、
2つの図形のそれぞれ1点ずつに対応する点どうしを結ぶ直線が全て1点Oで交わり、
それらがOによって全て同じ比に内分されるか、または外分されるとき、
それら2つの図形はOを相似の中心として相似の位置にあるという。
一般に、2つの図形に関して、一方の図形を適当に移動すれば
相似の位置に置くことができるか、または合同なとき、
それらの図形は相似であるという。
である。
ここから三角形の相似条件を証明する。
まず小林「初等幾何学」と同様に変換派にとっての基本定理
三角形の等積変形も使って証明される。
(・・・ただ三角形の等積変形と平行線の関係をあらわに述べている箇所が、
「新体系」には見当たらない。
平行線や平行四辺形の話は詳細に行なっているから、材料は揃っているし、
中2の検定教科書には書いてあることだし、
「新体系」でも中2相当部分の演習問題では等積変形を当然のように
使ってはいるのだけど。)
「相似の位置に置かれた2つの相似な図形において、
点Aに点A'が、点Bに点B'がそれぞれ対応するなら、
線分AB上の任意の点は線分A'B'上の点に対応する。
したがって線分ABは線分A'B'に対応する。」
(原文は表現がわかりにくいので表現を変えた)が証明され、
これを用いて
「相似な図形においては、対応する辺の比は全て等しく、
対応する角はそれぞれ等しい」、
つまりユークリッドの相似の定義6-1が成り立つことを証明。
このあたりは小林「初等幾何学」だと、
当然だろと行間ですっ飛ばされている話が詳細に書かれていて、
中学生向けに痒いところに手が届く感じ。
これより「相似なら二角相等・二辺比夾角相等・三辺比相等」は明らか
(ただし明確に言及してはいない。一文触れてくれればもっといいのだけど)。
そしてその逆である三角形の相似3条件。
「二角相等・二辺比夾角相等・三辺比相等の、
いずれかが成り立てば相似」を証明する。
ここで座標平面を使い、座標平面上の点P(x0, y0)を
点Q((b/a)x0, (b/a) y0)へ写す相似変換を考える(b/aは相似比)。
この変換が原点を相似の中心にした、
相似の位置の関係を引き起こすことを示し、
「二角相等なら相似」を証明する。
あとは二辺比夾角相等と三辺比相等が二角相等に帰着されることを、
特に三辺比相等ではもう一度先の相似変換を用いて示している。
検定教科書と違って、平行線と比の話を相似の位置の話と、
完全に統合しているのは流れがいいと思う。
演習問題の放物線の相似も面白い。
同様にすれば中1の反比例のグラフ、つまり直角双曲線の相似も示せるな。
でも、せっかく相似の位置を導入していながら、
それとは別に座標平面での相似変換を入れてみたりというくだりは、
どうも中途半端な感じが否めない。
一つには短くするため、というのは分かるのだけど、
相似の位置と辺の比例の関係以外にもう一つ、
相似変換という一見別の登場人物が出てくることで、
生徒の中での概念の統合がスムーズに行かなくて混乱を招きそうだ。
相似でない場合に相似の位置に置けないことも、明らかではない。
いやまあ全体の論理を見渡せば、相似と相似の位置の同値性は分かるのだが、
これだけ(中学生的に)長いとそれを見て取るのは難しいだろう。
中学数学内で最大限に論理的に構築されているのは確かだが、
中学生には論理的にすぎる、プロの数学者の教授法という感じがする。
授業で使おうと思うと、語りでかなりの補足を入れなければならなくて、
それでなお長くなりそう。
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