2011-11-22

三角函数とベクトルとうんちく


高2の子が三角函数がさっぱり分からないというので、三角函数を教えている。
三角比は学校の授業で高1でやったわけで、
sin, cos, tanの定義はなんとなく知ってはいるのだが、
その定義が何を意味するのか、コンセプトがまったくわからないらしい。

さらにいろいろ聞いてみると、要するに中3の相似がわかってない。
だからある三角形の二辺の比を取ることによって、
その三角形と相似、すなわち対応する角が等しいすべての三角形の、
性質を抽出できるということが、ピンと来ないわけで、
だから「比を取ったから何なの、角となんの関係があるのさ」となる。

そういえば自分も中学の頃、先の数学では三角函数というのが出てくる、
というのは聞いていたので、何だろうと中2の頃にたまたま叔父の教科書を見てみたら、
その定義としての単純さと意味不明さに、「これだけ?でもこれが何だっていうの?」
と思った覚えがある。その後相似を中3の数学でやってぼんやり見えてきて、
さらに物理でベクトルの内積や方向余弦とか使い出した所ではじめて、
「あー、 角度の長さ化がしたいわけか」と理解したんだったと思う。

三角函数は実用上は、方向余弦としての使い方が多いわけで
(まあフーリエ変換とかも大事だが)、
だから物理のベクトルから入るのがいいようにも思えるが、
ところがどっこい高2の子にとってベクトルは鬼門だ。
自分が中高生の頃は、一応ベクトルの代数というか和の演算を、
力の合成の記述として、平行四辺形描いて中学校の理科でやったわけなので、
高2のベクトルの一般論は「あーあの時のアレか」と入りやすかったのだが、
今のゆとり教育の子はそんなのやったことがない。

高2の数Bの最初で、何やら聞いたこともないベクトルとかいうものが導入され、
その代数を最初に意味もわからずやらされる。
最初のこの辺ですでにノックアウトされて、
内積とか出てきたらもう意味不明・拒絶反応となる。
一応同時に、高2の物理Iでも力や速度の記述が始まりはするのだが、
2次元の運動は高3の物理IIにすべて回されてしまったので、
1次元のベクトルしか出てこないから、数Bの2次元・3次元のベクトルと、
物理との関連性は高2の時点ではとても掴みづらい。
三角函数とベクトルの方向余弦との関係は、
アプリケーションとして最後のついでに話すのが精一杯か。

ていうか自分たちの頃だってベクトルと、
中学の理科との関連性を掴んでいる友人は、
そう多くはなかったから、やっぱり鬼門だったことにあまり変わりはない。
だからベクトルがさらに発展した線形代数、
すなわち当時高2・現在は高3の数Cでやる一次変換(線形変換)とかは、
高校数学で最も忌まわしいおどろおどろしいものとして、
当時も今も恐れられている。
一次変換が高校のカリキュラムに入ったり削られたりを繰り返しているのも、
そういうトラウマ抱えてる人がお役所にも多くて、必要性が分からないんだろう。
実地で回転やら二次形式やらテンソルやら扱う中で、
LINK
ユークリッド
原論
固有値・固有ベクトルまで見通す必要が出ない高校のうちは、
線形代数は強力さ・重要性がなかなか認識されない分野だ。

ともかく三角函数だが、中3の相似を今から総復習する余裕はないし、
中3の相似はユークリッド原論6巻を踏襲した初等幾何だから、
高2で座標平面上で解析幾何をある程度やっている段階では遠回りすぎる。

「三角函数は、三角函数ではなく円函数と呼ぶべきだ」というのを、
楕円函数・モジュラー形式への一般化を意識した話として、
どこかで読んだ覚えがある。
確かに、最初に直接三角比を導入する所では三角形を使うが、
一般角・弧度法・物理の波動といった事が出てくると、
実際には背景にある円を意識する事が多いし、
高2で三角方程式・不等式を解こうと思ったら、結局円を描かないと分からない。
なら最初から円の話にしてしまおう。

ということで、生徒に円を描かせまくって、
色々な円について、弦の半分の半径に対する割合、
つまりsine=正弦が、角度が同じなら円の大きさによらず一定であることを、
いちいちいろいろな角度について確認させると、
しきりに感心していた。時間はかかるけど、
こういう具体例の積み上げがやっぱ肝心だわな。、

で、基本問題はある程度解けるようにはなってきた。
まあこういうのは反復練習である程度できるようにはなる。
ただ、コンセプト「角度の長さ化」を理解しないと、
生徒の中で抽象化がなされないので、応用は利かない。
そのためにwikipediaあたりから方々拾ってきたうんちく話を、
かなり長々としたら、うんちくへの食いつきは良かったw
以下はそのうんちくのメモ:

sineという言葉は現在では意味不明の言葉になっている。
sineはラテン語のsinus(入江)に由来し、これはアラビア語のjaib(入江)を
ルネサンス期に翻訳したもの。そのアラビア語のjaibは、
インドのjiva(弦)を輸入したアラビア語jibaの誤訳らしい。
だからsineのもとは「弦」なわけだが、その意味は失われてしまっている。
さらに調べていくとsine=正弦という言葉に、ユーラシア大陸全域の歴史を巻き込んだ、
壮大なストーリーが見えてくる。

三角函数というか三角形の辺の比と角度との関係は、
建築に必要だったわけなので、有史以前から意識はされていただろう。
ただ、「角度」つまり「一つの頂点から出る2つの半直線の間に出来る、
茫洋とした図形それ自体」を扱うことは、
例えば日本ではあまりやっていなかったようで、
塵劫記」には正接の表が載っているが、「角度」という概念は出てこない。
建築とかへの応用という範囲では、角度θという茫洋としたものより、
「長さ」を扱えるtanθのほうが便利だろうし、それで十分な局面が多いだろう
(その後の和算の大発展の中でどうなったのかはよく知らないが)。
つまり「長さ」はわかりやすいが、「角度」それ自体は、
実用上の扱いが不便だということ。
だから、「角度」は「長さ」化してしまえれば便利だし、
「塵劫記」のように角度なんか使わずに、最初から長さだけで押す手もある。

ただこのあたり、建築だけでなく占星術も発展した、
メソポタミア文明はちょっと状況が違う。

日本のように四季折々の風物で季節がかなり正確にわかる地方と違って、
メソポタミアでは天体の運行から暦を判断しないと、
いつ種を蒔けばいいのか正確にわからない。これは死活問題だ。
また、以前皆既日食を生で見たことがあるが、
皆既日食があると知らなかったら、突然太陽が光を失っていく様は、
まさに世界の終わりのような恐怖だなと思えるような、劇的な眺めだった。
世界を終わらせないために王は、神々を助け恐怖にふるえる民を救うとともに、
王の神通力を民に見せつけなければならない。

というわけで、メソポタミア文明の占星術師には、
天体の運行を精密に記述する暦を作り、
日食や月食を正確に予測していつ神事を行うべきなのかを告げることが求められた。
天球上の天体の運行は、長さではなく角度で記述するしかないので、
メソポタミア文明で角度を扱う数学、特に代数学が発展した。
現在の度数法の角度、つまり1回転=360度、
1度=60分、1分=60秒といった、時計にも使われている60進記述は、
メソポタミアの60進法に由来する。

またエジプトでは占星術としては、
ナイルの増水時期を予測することが重要だったが、
それ以上に重要だったのが、
ナイルの増水で土地境界線が洗い流されてしまったあと、
LINK
ファン・デル・ヴェルデン
「数学の黎明」
どこからどこまでが誰の土地なのかを精密に測量し直すことだった。
このため、エジプトでは測量術(経験的幾何学とでもいうべきもの)
が発達した。
ただしファン・デル・ヴェルデン「数学の黎明」によれば、
エジプトには証明の概念はないので、
なんかとにかくそうなるらしいというアバウトな理解ではあったらしい。
ともかくメソポタミアの代数学と、
エジプトの測量術の経験的事実がギリシャに輸入され、
「数学の黎明」によればタレスに始まるとされる
「証明による幾何学体系」が構築されて、
ユークリッド原論」に結実するギリシャの幾何学を生み出すことになる。

さてメソポタミアだが、月食の予測はアッシリア帝国の頃には、
ある程度できるようになったみたいだが、
日食は月食より精密な予測が必要になる。
これはタレスが最初に成功しはしたが、毎度というわけにもいかず、
なかなかうまくいかなかった。
その後アレクサンドロス大王の東征から、ヘレニズム文明が花開き、
メソポタミア代数学にギリシャ幾何学が融合することで、
ヘレニズム数学・天文学が起こり、
ローマ時代の2世紀にはプトレマイオスの「アルマゲスト」に結実して、
この頃には日食の予測が可能になったらしい。
このヘレニズム数学の中で、単位円の中心角2θに対して、
弦の長さ2sinθを用いて「角度の長さ化」を行うと便利だということを、
紀元前3世紀のアポロニオスや、紀元前2世紀のヒッパルコスが議論し、
最終的には「アルマゲスト」の中でまとめられた。

「アルマゲスト」に代表されるヘレニズム天文学が、
アレキサンドロス大王の東征以降メソポタミア・インドに広がったギリシャ人達によって、
インドに輸入され、インド固有の占星術と融合して、
インド占星術・天文学を生み出す。
グプタ帝国によって統一されたインドでは、
アルマゲストの弦の長さよりもその半分、つまり現在のsinθを用いることが、
さらに便利だと認識され、6世紀にアーリヤバータ
「アーリヤバティーヤ」においてardha-jiva(半弦)の表としてまとめられた。

さてヘレニズム文明はその後のローマ帝国の崩壊で衰退し、
特にヨーロッパは荒廃したが、7世紀から新たにアラビアに勃興したイスラム帝国が、
ヘレニズム文明を継承・発展させる。
ユーラシアの広い地域の国際的文化を貪欲に吸収し、
発展させたイスラム科学において、
インドのardha-jivaの表を使うと暦計算が便利ということで、
盛んに用いられたらしい。この外来の概念jivaを、
アラビア語にはv音が無いのでjibaと呼んでいた。
ところで、アラビア文字の当時の正書法では、
母音字が用いられないので、jibaは"jb"(のアラビア文字)と書かれる。

ローマ帝国崩壊後のヨーロッパがルネサンス期に入り、
アラビア語文献からヘレニズムやイスラムの先進文明の本を、
ラテン語に翻訳するとき(何しろ「アルマゲスト」というタイトルもアラビア語由来)に、
アラビア語内の外来語"jb"を、アラビア語の"jaib"(入江)と解したらしい。
このjaibがラテン語訳されsinus(入江)になった。これが現在のsineの語源である。

さて、「アーリヤバティーヤ」に纏められたインド天文学は東へも伝わる。
イスラム帝国と並び、当時のユーラシアの文明を集約していたもう一つの大帝国・
において、8世紀に仏教経典の四大訳経家の一人・
当時のインド占星術のマニュアル「宿曜経」を訳出(もしくは著作)した。
804年の遣唐使で唐に来ていた空海が、
この宿曜経を日本に持ち帰って僧たちによる研究が進んだ。
そしてインド占星術と日本の呪術が混合した
宿曜道」が生み出され、平安時代には日食や月食の予測をめぐって、
陰陽師たちと激しく競い合うことになる。
源氏物語」でも、光源氏が生まれたときに宿曜道の占い師が呼ばれている。
おそらくこの宿曜経の受容の過程で、ardha-jiva(半弦)も知られ、
「正弦」という言葉がsineの意味になったのではないか。

宿曜経の三角函数は、実用算法としては定着せず「塵劫記」にも出て来なかったが、
真言僧たちのあいだでは細々と継承されていたんだろう。
そして幕末の坂本龍馬たちの海軍操練所や、明治の日本海軍などで
西洋測量術として三角函数が用いいられるようになって、
ardha-jivaの子孫「sine」と「正弦」が再び結び付けられた。


・・・多少最後は推測混じりだが、こういうお話。
面白くはあったようだが、世界史・日本史の知識が縦横に出てくるので、
生徒はお腹いっぱいになってた。
「角度の長さ化」というコンセプトがちょっとボケ気味なので、
次の機会があったらもうちょっとコンパクトにしないとなあ。

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